東日本大震災が発生から5年を迎えました。
1万5千人以上の方が亡くなり、今なお2万人以上の方が行方不明。
避難者数も約17万4千人という大きな爪あとを残しました。
少し当時のことを思い出してみました。
3月11日午後2:46。
北豊島には卒業式を控えスクーリングもなく、校内には教職員と女子生徒が数名いました。
最初は「少し大きなゆれだな…」程度でしたが、すぐに「これは大地震だ」と気付き、
2階にいた生徒を1階に降ろし安全を確保しました。
交通機関が麻痺し、教員・生徒は帰宅が困難となりました。
生徒の中には茨城、神奈川から来ている者がいました。
「公衆電話が繋がりやすい」と聞き、担任がコンビニまで行き保護者と連絡が取れたのは、
夜になってからでした。
数日後に予定されていた卒業式は、「計画停電」の影響で予定していたホールが使えず、
急遽、学習センターで行いました。
校内で大地震を経験した女子生徒が読み上げた「卒業のことば」に、
涙を浮かべる保護者の方もいらっしゃったのが印象的でした。
また、当時2名の北豊島の卒業生が東北大学で学んでいました。
卒業生ではありますが、安全が確認できたときは、ほっとしました。
大震災以降、北豊島では災害に備え、校舎の耐震性の向上や備蓄に取り組んできました。
「安心して登校できる学校」を目指し、現在、学習センターには全日制の備蓄とは別に、
飲料水、非常食、簡易トイレ、救急セット等をそろえています。
5年が経ち、記憶も薄れてきています。
復興の問題、原発・放射能の問題…と、いまだ多くの課題が残されています。
現在の高校1年生は小学生だったでしょうか。
幼くても、震災の記憶は残っているはずです。
一人ひとりが、それぞれの記憶を忘れないでほしいと思います。